開高健
茅ヶ崎の開高健記念館に出かけてきた。
随分と前から有ることは解っていたのだが、出かける機会がなくて伸々と成っていた場所だ。
開高健と私との出会いは大学3年生の頃に遡るから、1974年だ
かれこれ43年前になる。
1971年に『フィッシュ・オン』朝日新聞社
1972年 『紙の中の戦争』文藝春秋
1973『サイゴンの十字架』文藝春秋を出した頃だ
麻布のロシア大使館での座談会だったと記憶している。
開高健(Takeshi Kaikō)は壽屋(今のサントリー)宣伝部に採用され、PR誌『洋酒天国』の編集やウイスキーのキャッチコピー(トリスウイスキーの「人間らしくやりたいナ」が有名)を手がけて、1958年 に『裸の王様』で芥川賞を受賞している。
日経新聞の朝刊で伊集院静の小説「琥珀の夢」が連載中だが、主人公はサントリー創業者の鳥井信治郎である。開高健は1954年に24歳で壽屋に入社している。
既に壽屋の社員であった妻の牧羊子が出産育児の為に退社するのに伴い、後任者として壽屋宣伝部に採用されたらしいが、当時専務だった鳥井信治郎の次男である佐治敬三に、薄給で生活に困っていた7歳年下の夫(開高)を牧が頼み込んで入社させたと言うのが事実らしい。
実は1954年は僕の生まれた年です。
「琥珀の夢」毎日読むのを楽しみにしているが、それも今回開高健記念館を訪れてみようかと成った動機の一つかもしれない。
ロシア大使館の座談会では、福田蘭童は指先で色が分かるとか、ロシアのオオナマズの話を記憶している。
其の頃の僕は学業そっちのけで、ルアーフイッシングに没頭していたから、次元を超えた師の話はキラキラと輝いていた。
開港記念館の館内は撮影禁止なので、書斎の佇まいは記憶に焼き付けるとして、記念館の周りを取り巻く、「哲学者の小径」の草陰にポツンと置かれていた、トラバサミは多分師がアラスカ遠征で買い求めてきたものではなかろうか?
文学者の記念館にTrappingが有るなんて....如何にも開高健である。
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